ラジオびいき

面白いトークもあれば、心を打たれるトークもたくさんあります。 小難しい話はありませんが、シンプルに人生の哲学のような話がたくさんあります。 テレビのトークでは聞けない、その言葉の真意が聞けるのもラジオならでは。

「仕事」ってなんだ?から、「自己顕示欲」「人生」「自分が本当に欲しいもの」にもやつく話☕︎




今後何をしていきたいのか

どんな仕事をしたいのかとか、

どう生きていたいのかとかを考える。

 

いろんな言葉などに惑わされて本当の自分の言葉や声がわからなくなる。

 

今本当に欲しいものはなんだろう。

 

 

ある時ラジオでパンサーの向井さんが、

ナイナイの矢部さんにモチベーションをどのように保っているか聞いたと。

(↑のトークです。きになる方はどうぞ) 

 

そもそも向井さんってお笑い好きで入っているので

モチベーションを保つという考えに至っていることが少し意外。

 

どれだけ好きなものを仕事にしたとしても、

モチベーションを保つという行為はのしかかってくるのだろう。

 

そして矢部さんがいった言葉もまた意外。

意訳すると、「どんなに上の人も、負けん気でやっているんでは」

ってことでした。

 

それはそれで大事なことだし、

かっこいいことだとは思います。

 

でもよくよく考えると、ダウンタウンさんとか、

天下を取ったように見える人でもずっと何かと戦っているってことですよね。

ましてや、もしかするともっと大きなものと戦い出すのかなと。

 

なんかその螺旋構造にいるうちはずっとしんどいんじゃないかって。

 

人を気にして、負けないように頑張るってすごいことにも思えるけど、

それ突き詰めた先に何があるのだろう。幸せなのだろうかと思う。

 

いる業界とかの数だけ螺旋構造はあると思うんです。

その螺旋構造の下の方にいる自分みたいな人間と、

別の螺旋にはなりますが、誰もが羨むようなところにいるダウンタウンさんのような人が根底では同じような感情を抱いているってことじゃないですか。

 

これってもう凄いしんどいことだなって。

突き詰めれば、突き詰めるほど、大きな壁にぶつかる。

それが先駆者によって証明されている。

 

つまり人と比較したりされたりする世界には幸せはないってことの裏返しだと思ったんです。

 

 

 

どうやってこの螺旋から降りるのか。

そんなことをぼんやり考えるんです。

 

じゃあ仕事をやめればいいかっていうとそんなことはない。

 

なぜかと言えば、この螺旋は仕事に対してあるように思うのですが、

どうやら「人」に対して存在しているものっぽいからです。

 

要するに今螺旋から抜けられていないのなら、

職を変えようが、そのまま螺旋は残るんです。

 

転職してきた経験も割とあるので、

これは身をもってわかります。

 

環境や周りにいる人を変えたら全てが変わるような幻想を抱きますが、

そんなことはない。

 

結局は自分が変わらないと何も変わらないし、

変わった気にだけなっていたりして、

かえってたちが悪かったりする。

 

じゃあどうやってここから降りるのか。

正解は模索中ですが、自分の感情をちゃんと知ることから始まる気がします。

 

自分が今感じている感情って本当に自分が感じているものなんでしょうか?

なんとなく社会の雰囲気とか、教育の中で思わされていることって多くないですかね?

 

常識とかルールとかって噛み砕いて説明できる人います?

ちなみに僕はできないです。

でも自分の中に解がないということの恐ろしさには気づきました。

 

 

 

「なんでそう思うのか、わからないということに気づいた」んです。

 

・仕事はずっと同じところで続けるのがいいこと

→いろんな価値観が出てきていますが、世の中にはまだまだ転職者繰り返す人間に対する一定のバイアスがあるでしょう。

 

・結婚することが人の幸せ

→口ではいろんなことを言いますが、結婚をすると「無条件で祝う」ことからも結婚ってものに対する価値の盲目化があることを示している気がします。「結婚」ってのは行為です。行為は結果でもって価値が決まるかと思います。なのに、その行為とか状態になっただけで、祝うって不思議じゃないですか?

 

・結婚して子供ができたらマイホームを買う

→なんでですかね?広い家?借家でもいいですよね。

いきなり借金を数千万背負うなんて家以外だったらとてつもなく責められることですよね。少子化も進んで土地は余ってくるはずなのになんとなくそれは許されるべきことというか、むしろいいことだと捉えられている。

 

こんな説明のつかないことが、

自分の中の価値観として根付いていたことに気づいたんです。

でもこれってもう論理とかなくて、なんとなくそう思っているんですよ。

 

仕事なんかその典型。

人より頑張って、評価されて、出世して、お金もらって・・

そのためなら自分の時間とかを犠牲にして、

上司や会社のいうことになんとなくしたがって。

 

これってみんな心から望んでることなんですかって話です。

 

僕もこれを望んでいると「勘違い」していたんです。

 

というか、そうならねばならないっていうような強迫観念に迫られていたんです。

 

でも別にお金がすごい欲しいかっていうとそうでもない。

大概の「もの」は手に入れた瞬間から、自分の中での価値が減っていく体験を明確にしていたからです。まぁ困らない程度に欲しいとは思いますが。

 

次に出世。これは・・?

出世したい理由を考えてください。

もちろんいろんな人がいると思います。

 

でも僕はよくよく考えると、ただ人の評価を気にしていたんです。

社会の人、同僚、家族、友達・・

周りの人からどう見えるかだけを意識して、

出世したいと思っていたんです。

 

じゃあそれらがなかったら出世したいかっていうと、

別にしたかねーわって話だと気づいたんですよね。

 

そして周りからの評価なんて本当に無意味で、

羨望の眼差しで見てもらることもあるかもですが、

飲みに行った時のほんの一瞬ですよ多分。

そんなもんじゃ飯食えないじゃないですか。

 

ってことは本当にどうでもいい自己顕示欲みたいなものを、

満たすためだけに出世したいのかっていう、

問いだということに気づいたんです。

 

お金もそんなにいらない、特別役職自体に想いもない。

なのに自己顕示欲のためだけに出世することに意味があるのか?

「いや、意味がないな」

 

そう考えたわけです。

 

 

 

じゃあ逆にどうしたいか?って問いになります。

やりたいこともない、お金もそこそこでいい、出世もしたくない。笑

 

ニートにでもなる気かって思われるくらい、

無気力な発言ですよね。

 

でも割と今の本音です。

それなりに仕事はちゃんとしていますが。

 

どうするのがいいんですかね?

 

ここからが一番模索中なので、さらにふわふわした話になります。

 

ここで考えたことは自分にとっての「幸せ」とは何かです。

 

世に蔓延っている「幸せ」の定義が当てはまらない以上、

自分なりに定義しておく必要がありました。

というか、どうやら世の中の「幸せ」は僕の幸せでないのではと、

ここ何十年かの人生で強く感じていたためです。

 

そこで、結構本を読みました。

「幸せとは何か」を探す旅です。

ネットで調べたりもしましたが、抽象的な話しか出てこないわけです。

 

そこで出会った本が下記です。

「没頭力」

「どうすれば幸せになれるか科学的に考えてみた」 

 

予防医学的な幸せは、ワクワクして目が覚めて、夜満ち足りて眠ると定義される。

 「幸せ」は昔からよく研究されていて、心理学的には3種類あると言われています。それは「快楽」と「意味」と「没頭」なんですよ。

自分の欲望に気づいてないから、他人の評価が欲しくなる 

「だって『幸せそう』って思われたい」って女性誌のコピーが話題になりましたよね。他者に認識されないと自分の幸せが存在しないってことでしょう?ヒエラルキー闘争に勝った自分じゃないと満足いかないと言う。 

人って常に「幸せ」の先延ばしをしているように思います。こういうもんが手にはいれば幸せになるだろう、今の自分が満たされていないのはこれが足りないんだって、足りないものの埋め合わせをずっとやっている。

自分の「祭り」を見つけなきゃいけないわけですよね。で、自分が何をしていると楽しいか理解するには、過去の楽しかった経験を「分類」して、それを「抽象化」する作業が必要です。

「専門性を持つことが素晴らしい」といった価値観に由来する部分もある気がしますが、専門性に頼ると結構早く限界がくると思うんです。それよりも「無知」で挑んだ方が強い。ただし何か自分の中に1本の軸はあった方がいいでしょうが。 

「何かになる」はできなくても、「なるまでのプロセス」が楽しければいいんじゃないですか。 

 

とまぁいろんな言葉が語られているわけです。

 

これらを読んで思ったのは、やはり本質的な問いで、

自分は本当は何を欲しているのか、

心から楽しいと思うものがあれば、それと向き合うことこそが

人生としては一番いいなじゃないかって思ったんです。

 

 

 

単純にお酒が好きとかもそうなんですが、

それって結構結果の部分を指していることが多いんですよね。

なぜそれを楽しいと思っているのか、好きと感じているのかとかを分かっていないと

応用が利かないし、人生は生きづらい。

 

だからこそ自分の「楽しい」を分解することが増えました。

今なんで楽しいと感じたんだろう?

今のは楽しかったんじゃないか?

みたいなことが増えます。

 

面白いことに「楽しい」にはわりかし種類があるようで、

単純に楽しいと感じていることはあったんですが、

「楽しい」と感じていない「楽しい」がある感じにも気づきました。

 

要するに「没頭」とか「時間を忘れていた」みたいなことです。

これらに自分自身すごく充実感を感じていました。

 

楽しさを定義するときに、なんとなく感じていたこととして、

過ぎ去った後に後悔しない感じが結構大事な感じがしていました。

 

これは人によると思うのですが、

その瞬間だけ楽しいようなことって、

振り返ってみたときに無駄なことしてたなって思うことが多いんです。

 

死ぬ直前に「わりかしいい人生だったな」って思うには、

「瞬間的な楽しさ」よりも「後悔しない楽しさ」が非常に重要だなって感じてたんです。

その方が後日ものすごく清々しいですから。

 

ってことは先述した本にもありますが、

没頭できることで人生を埋め尽くすことがすごく大事だなと。

 

没頭できるシーンっていうのは

仕事の中でもちょこちょこあって。

 

やりたいことがない僕にとってはそういうのを集めることが一番近い、

幸せの在り方っぽい気がしてきています。

 

そして行動だけじゃなくて、そういうのを増やしていくには

結構メンタリティも大事で、純粋な気持ちで向き合っていることが

ものすごく大事な気がしています。

 

邪念が入ると気持ちがふらつくので、

没頭できませんから。

 

そうすると、サボるのは性に合いませんし、

雑に仕事をするのもやはり合いません。

 

すると、目の前の与えられた仕事に対して、

多くの選択肢を持ちながら、苦心しながらも自分なりの正しさを

出し続けるということが結構自分にとって大事かもと思いました。

 

振り返るとそんな仕事が自信にもなったし、

意外と充実感にも繋がってましたしね。

 

あとは最近感じることの一つとして、

どんなことでも本気でやり続けるとかっこいいという現象についてです。

 



こういったところでも語られていますが、

結局やり続けるとその人の哲学として形になっていくんだと思います。

 

スポーツがかっこいいのもそういうことだと思いました。

 

スポーツ選手って無価値な仕事だと考えていましたが、

究極的にはどんな仕事も無価値で、

究極的にはどんな仕事もとてつもない価値があります。

 

そんなものだからこそ、徹底的に向き合って仕事をすることで

いろんな葛藤を重ねる中でカッコよくなってしまうんだと思います。

 

とりあえず嫌じゃないことに向き合って、

カッコよくなるっていうのが割と楽しいことなんじゃないかな?

っていう自分なりのゆるい着地をしています。

 

 

 

 

 

 

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